小竹貝塚はあいの風とやま鉄道呉羽駅の北東に位置する縄文時代前期の遺跡である(約6,000年前)。当時は気候が温暖で海水位が高く、潟湖が遺跡の近くまで広がっていたと考えられている(Figure0.1左)。北陸新幹線建設に先立つ発掘調査で91体の人骨が発見され、全国的に話題となった。B・C地区の貝塚(Figure0.1右)からは貝類・魚類・哺乳類・鳥類等の自然遺物のほか、土器・石器・木製品・骨角歯牙製品といった人工の遺物が出土している。
今回研究対象とした魚類の骨は、魚種や部位の特定及びその組成の分析がすでに行われ、その結果は報告書に掲載されている(富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所2014)。一方、魚類の組成以上の分析、例えば縄文時代の漁撈活動を復元するような研究はあまり行われていない。
そこで、本研究では小竹貝塚で出土したクロダイの体長を復元することで、小竹貝塚の漁撈活動を復元する基礎資料とする。魚類の体長を復元する研究は、赤沢(1969)、小宮・鈴木(1977)、坂田他(1992)、石丸(2005)によって試みられている。また、各地の発掘調査報告書にデータが掲載されている場合もあり、遺跡間での比較も可能である。この研究によって、縄文時代の生業の一端を明らかにできることが期待される。
Figure 0.1: 左:小竹貝塚の位置と縄文時代前期の射水平野、右:小竹貝塚の調査区位置図と地形復元(富山県埋蔵文化財センターパンフレット「小竹貝塚 Odake Shell Midden」より)
小竹貝塚の報告書によると、魚類の骨は調査区全体の総数は29,682点で、種類や部位が同定できた骨は17,628点ある。貝層が厚く堆積したB・C地区では、魚類の骨の総数は26,213点で、種類や部位が同定できた骨は15,812点である。Figure1.1は小竹貝塚出土の魚類の組成割合で、最も多いのはスズキ属で、クロダイ属は2番目、マダイは3番目となる(以下「属」は省略する)。
魚骨から体長を復元する研究はマダイ・クロダイ・スズキで行われており、マダイとクロダイでは前上顎骨や歯骨が、スズキでは歯骨が主に利用されている。このうち、小竹貝塚のクロダイとスズキの部位別の組成割合を示したものがFigure1.2である。クロダイでは前上顎骨1,292個(47.5%)、歯骨804個(29.6%)、スズキでは主鰓蓋骨1,398個(46.8%)、歯骨548個(18.3%)となった。スズキの主鰓蓋骨は破損しているものが多く、体長を復元することは難しいことから、計測可能な骨の点数が最も多いクロダイの「前上顎骨( premaxillary )」を研究対象とする。なお、スズキ・クロダイともに頭骨の占める割合が多く、小宮(2005)によると脊椎骨が貝塚に残りにくい処置の結果という。
Figure 1.1: 小竹貝塚の魚類組成(クロダイPML計測後のデータを反映して作成)
Figure 1.2: クロダイとスズキの部位別出土組成
クロダイの前上顎骨はプロスチオン(前方の歯の基部)から後突起の最後端の直線距離を計測した(Figure1.3)。これを前上顎骨長(以下PML: Premaxillary Length) といい、赤沢(1969)や坂田他(1992)、石丸(2005)でも同様の部分を計測している。このPMLから以下の計算式で体長を求めることができる(石丸2005)。\(R^2\)は決定係数で1に近いほど説明力があることを示す。
\[ y = -0.0933x^2 + 13.6673x - 7.1035 \]
\[ (R^2 = 0.9674) \]
PMLの計測は1/10
mmまで計測可能なデジタルノギス(シンワデジタルカーボンファイバーノギス
#19990)を使用した。計測は主に筆者が行なっており、一部を富山県埋蔵文化財センターで募集した「考古学少年団」の小中学生が計測した。
Figure 1.3: クロダイの部位名称
計測した数値は、報告書の基礎データとして使用された魚類の骨の一覧表(Excel形式)に記録し、CSV形式に変換してデータとした。このデータをR(version 4.3.1)1で読み込み、加工・編集し、作表・作図、統計的な分析を行った。一部はAdobe IllustratorとPhotoshopで加工した図を利用した。
統計分析では、小竹貝塚から出土したクロダイの前上顎骨を母集団、 つまり貝塚で遺棄されたクロダイからサンプリングした標本とし、統計的推定で母平均を95%信頼区間(95% \(CI\))で算出した。また、時期別の比較では、Welchの \(t\) 検定の統計量 \(t\) を用いた並べ替え検定を行って、母平均の差の統計的仮説検定を行った。
なお、小竹貝塚の魚類の骨は調査時に目視で採取されたものだけでなく、3つのメッシュかご(5 mm、2.5 mm、1 mm)で土壌を洗浄して採取されたものである。このメッシュサイズは目視で見落としやすい骨も捕捉できる目の大きさであることから(小宮・鈴木1977)、採取方法によるサンプリング・エラーの影響は最小限に抑えられている。
また、計測方法の違いによる影響を排除するために、ノギスの使用方法や前上顎骨の計測箇所、計測結果の記入方法について、「考古学少年団」に事前のレクチャーを行い、筆者を含めた大人4名の監督下で作業を行なった。これによりデータの収集時のバイアスの影響を最小限に抑えた。
Table2.1と2.2は、小竹貝塚B・C地区の貝層及び包含層から出土したクロダイのPMLと体長の概要表である。計測した前上顎骨の数は 515個(左: 265 個、右: 250 個)で、全国的に見ても計測数が際立って多い。なお、計測率は 39.8 %であった。
PMLの最大値は 40.2mm、最小値は 15.5mm、平均値は 27.9mm(\(SD\) = 4.3)、中央値は 28.0mmであった。 左のPMLの平均値は 27.5mm(\(SD\) = 4.3)、右のPMLの平均値は 28.2mm(\(SD\) = 4.2)であり、右の平均値がやや大きかった。
PMLから算出した体長の最大値は 39.2 cm、最小値は 18.2 cm、平均値は 30.0 cm(\(SD\) = 3.6)、中央値は 30.2 cm であった。PMLから算出した左の体長の平均値は 29.7 cm(\(SD\) = 3.7)、右の体長の平均値は 30.3 cm(\(SD\) = 3.6)であった。
左右のPMLについてヒストグラムを作成した結果、どちらも27.5 - 30.0 mmに最頻値があり(Figure2.1)、体長については左右どちらも30.0 - 32.5 cmに最頻値がある(Figure2.2)。体長の分布は単峰性で、やや左に裾が長い形状をしており、20 cm未満や40 cm超のクロダイは、ほとんど捕獲されていない。大島(1942)によるとクロダイが生殖可能となるのは3歳魚であり、その平均体長は22.41cmである。22.5cm未満を未成魚とすると、小竹貝塚では14個体のみ出土し、ほとんどが成魚であることがわかった2。
左右それぞれの母平均の信頼区間は、PMLでは左:95% \(CI\)[ 27.0, 28.0 ]、右:95% \(CI\)[ 27.7, 28.7 ]となり、 体長では左:95% \(CI\)[ 29.2, 30.1 ]、右:95% \(CI\)[ 29.8, 30.7 ]となる。
PML (mm) | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
n | min | Max | Mean | Median | SD | |
Left | 265 | 15.5 | 40.2 | 27.5 | 27.7 | 4.3 |
Right | 250 | 15.8 | 38.6 | 28.2 | 28.3 | 4.2 |
Total | 515 | 15.5 | 40.2 | 27.9 | 28.0 | 4.3 |
Body Length (cm) | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
n | min | Max | Mean | Median | SD | |
Left | 265 | 18.2 | 39.2 | 29.7 | 30.0 | 3.7 |
Right | 250 | 18.6 | 38.1 | 30.3 | 30.5 | 3.6 |
Total | 515 | 18.2 | 39.2 | 30.0 | 30.2 | 3.6 |
Figure 2.1: 小竹貝塚出土クロダイのPML分布(ビン幅2.5mm)
Figure 2.2: 小竹貝塚出土クロダイの体長分布(ビン幅2.5cm)
小竹貝塚B・C地区では貝の堆積・利用状況から、貝塚を墓域とする時期とその前後の三時期(人骨期以前・人骨期・人骨期以降)に整理されている。時期別のクロダイの出土数は、人骨期以前が 681点、人骨期が 1,181点、人骨期以降が 237点となる。前上顎骨では人骨期以前が 346(165)点、人骨期が 572(207)点、人骨期以降が 116(30)点となり、人骨期以降にクロダイの出土数が減少することがわかった(括弧内は計測点数)。
報告書によると、魚類の出土数は人骨期に増加した後、人骨期以降には減少し(NISP:4,637、6,496、1,429点)、その組成ではクロダイはほとんど変化しない(Figure2.4)。なお、クロダイと同じく汽水域に進出するスズキは時期が降るにつれて割合を減らし、エイ・サメ類は人骨期以降に約5倍にまで割合が増加する。
Figure 2.3: 小竹貝塚B・C地区の基本層序(報告書掲載図面を改変)
Figure 2.4: 小竹貝塚の時期別の魚類組成(クロダイPML計測後のデータを反映して作成)
Table2.3は時期別の体長の概要表で、Figure2.5は時期毎の体長を箱ひげ図で比較したものである。人骨期は人骨期以前と比べて、変動係数3が相対的に大きく、箱ひげ図の四分位範囲やひげの長さが長いことからも、幅広い大きさのクロダイを利用していたことが伺える。Figure2.6は人骨期以前と人骨期の体長分布を示したもので、人骨期以前は最頻値30 - 35cmで突出する分布となる一方、人骨期では30 - 35cmの頻度が減少し、分布もなだらかになる。
Body Length(cm) | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
Period | n | Mean | Var | SD | CV | |
Left | 人骨期以前 | 83 | 30.5 | 8.9 | 3.0 | 0.10 |
人骨期 | 110 | 29.0 | 18.4 | 4.3 | 0.15 | |
人骨期以降 | 14 | 27.8 | 12.2 | 3.5 | 0.13 | |
Right | 人骨期以前 | 82 | 31.2 | 10.3 | 3.2 | 0.10 |
人骨期 | 97 | 29.8 | 15.5 | 3.9 | 0.13 | |
人骨期以降 | 16 | 29.9 | 15.7 | 4.0 | 0.13 | |
Figure 2.5: 小竹貝塚出土クロダイの時期別の体長分布。黒丸ははずれ値。
Figure 2.6: 小竹貝塚出土クロダイの時期別の体長分布(ビン幅5cm)
この影響もあって、人骨期は人骨期以前よりも平均値が小さくなる。人骨期以前と人骨期の体長の母平均の信頼区間は、左では人骨期以前:95% \(CI\) [ 29.9, 31.2 ]、人骨期:95% \(CI\) [ 28.2, 29.8 ]となり、右では人骨期以前:95% \(CI\) [ 30.5, 31.9 ]、人骨期:95% \(CI\) [ 29.0, 30.6 ]となる。
人骨期以前と人骨期の母平均の差についてのWelchの \(t\) 検定(両側検定)の統計量 \(t\) は、左が \(t\) (190) = 2.91、右が \(t\) (177) = 2.56 となる。 Figure2.7は並べ替え検定の結果を図示したものである( \(\alpha < 0.05\) )。この図を見てもわかるように、人骨期以前と人骨期のクロダイの母平均には有意に差があることがわかった(左: \(p\) = 0.002, 右: \(p\) = 0.010)。
Figure 2.7: 帰無仮説に従って再サンプリングされた統計量tの分布と、実際のデータのWelchのt検定(両側検定)で得られた統計量の関係。
Figure2.8は、先行研究や報告書に掲載されている集計表・度数分布表から作成したヒストグラムである。体長の計算式が研究ごとに異なるため、PMLで比較を行った。閉鎖性海域〜汽水域の貝塚である小竹貝塚・於下貝塚・上高津貝塚・黒橋貝塚はいずれも最頻値が25 - 30mmにあり(体長27.6 - 31.9cm)、霞ヶ浦の貝塚を合算した「内陸の貝塚」や東京湾に面した矢作貝塚(左)では30-35mmに最頻値があるが(体長31.9 - 35.7cm)、矢作貝塚(右)は他の閉鎖性海域〜汽水域の貝塚と同じであった。
一方、気仙沼湾に面した田柄貝塚や小名浜湾に面した貝塚の合計である「沿岸の貝塚」では最頻値が35 - 40mmにある(体長35.7 - 39cm)。
閉鎖性海域〜汽水域の貝塚はPMLの分布がよく似ている一方、東北太平洋側の気仙沼湾や小名浜湾沿岸に位置している貝塚はPMLの分布が大きい傾向がみられた。
Figure 2.8: 貝塚出土クロダイのPML比較。沿岸の貝塚(赤沢1969)は小名浜湾周辺の貝塚(大畑貝塚・寺脇貝塚・綱取貝塚)の合計、内陸の貝塚(赤沢1969)は霞ヶ浦周辺の貝塚(大倉南貝塚・小手指貝塚)の合計。於下貝塚(麻生町教委1992)・上高津貝塚(小宮・鈴木1977)は霞ヶ浦、黒橋貝塚(熊本県教委1998)は熊本市南部の丘陵麓(浜戸川両岸)、田柄貝塚(宮城県教委1986)は気仙沼湾、矢作貝塚(樋泉・西野1999)は東京湾に面した貝塚。
最後に、小竹貝塚や全国の貝塚との比較から得られた結果がどのような意味を示すものなのかを理解するため、2004・2006・2009年に山口県の市場で計測されたクロダイの尾叉長のデータを用いて現代との比較を行った(木村・松野 ほか2005、 内田・木村 ほか2007、 内田・木村 ほか2009)。これらは各年毎月4 - 6回程度、瀬戸内海側の市場のセリ開始直前に並べられた時に計測されたもので、いわゆる漁獲量ではないものの、現代の閉鎖性海域でのクロダイの大きさ別の漁獲数がわかるデータである。
体長は尾叉長に0.91をかけて計算したものを使用した4。Figure2.9のヒストグラムの最頻値は、尾叉長で35 - 40cmに、体長で30 - 35cmにある。これを小竹貝塚の体長分布と比較すると、30 - 35cmに最頻値がある点は同じである一方、現代では15 - 20cmや35cm以上の頻度が多く、また分布の形状が緩やかである(Figure2.10)。さらに、小竹貝塚では35 - 40cmで頻度が急激に減少する点は注目される。
Figure 2.9: 2004・2006・2009年に山口県の市場で計測されたクロダイのサイズ分布。左:尾叉長、右:体長(尾叉長から算出)
Figure 2.10: 現代の山口県と小竹貝塚のクロダイの体長比較。小竹貝塚は左の前上顎骨のデータを使用(ビン幅5cmに調整)
Figure2.11は3年分の月別の計測数を表したもので、クロダイは1年中漁獲されている。計測数は春から初夏(4 - 6月)にかけて増加するが、7月以降は大きく減少し、冬にかけて低水準で推移する。
Figure 2.11: 2004・2006・2009年に山口県の市場で水揚げされたクロダイの月別計測数
これらのことから小竹貝塚におけるクロダイ漁について若干考察したい。なお、小竹貝塚で想定されている漁法は、出土した漁具や人骨に残された痕跡から釣漁(釣針)・網漁(石錘)・刺突漁(ヤス)・潜水漁(外耳道骨腫)がある。
小竹貝塚で出土したクロダイの体長の平均値は 左:30.0mm(\(SD\) = 3.6)、右:30.3 cm(\(SD\) = 3.6)であった。これを現代の体長分布と比較すると、どちらとも30 - 35cmに最頻値があるが、小竹貝塚は10 - 15cmが少なく、35 - 40cmで頻度が急激に減少する(Figure2.10)。小竹貝塚では、小宮・鈴木(1977)が指摘しているような発掘調査でのサンプリング・エラーの可能性は低く、未成魚のクロダイは元々少なかったと考えられる。35 - 40cmの頻度が急減している点は、小竹貝塚での漁法や漁具による限界を示している可能性がある。
小竹貝塚のクロダイを時期別に比較すると、人骨期は人骨期以前よりも体長の平均値が小さくなり、母平均の差の検定でも有意な差がある結果が得られた。時期別の体長分布からは人骨期には人骨期以前に比べ幅広いサイズを捕獲していることがわかり(Figure2.5)、これにより人骨期以前に最頻値であった30 - 35cmの頻度が大きく減少する(Figure2.6)。
魚類組成では人骨期以降にエイ・サメ類の割合が増加するものの、人骨期以前と人骨期ではスズキの割合が小さくなる以外は組成に大きな変化はないため(Figure2.4)、環境の変化が原因であることは考えにくく、赤沢(1969)が示唆している漁法・漁具による体長の選択の差を示していると見られる。つまり、人骨期以前には釣漁や刺突漁、網目の大きい魚網を使用した網漁によって選択的に漁獲していたものが、人骨期には網目の小さい魚網を使用した網漁等でサイズによる選択をしない漁撈をしていたと考えられる。このことは、主に網漁で獲られた山口県の計測データ5と比べ、人骨期以前の体長の最頻値が突出して大きい点からも推測される。
さらに全国の貝塚との比較によって小竹貝塚の漁場を考察する情報を得ることができた。小竹貝塚は閉鎖性海域〜汽水域の貝塚と類似したPMLの分布をしている一方、東北太平洋側の気仙沼湾(宮城県)や小名浜湾(福島県)沿岸に位置している貝塚はPMLの分布が大きい傾向がみられた(Figure2.8)。このことから遺跡の立地とクロダイのPMLの大きさには関係があると考えられる。なお、この体長分布の違いは赤沢(1969)や坂田他(1992)も指摘しており、漁場の違いであると推定されている。閉鎖性海域である現代の山口県の計測データでも体長40㎝を超えるクロダイが少ないことを踏まえると、小竹貝塚は集落の近くに漁場を持つ一方、東北太平洋側の貝塚では沖合を漁場にしていたと考えられる。
市場で水揚げされたクロダイの月別計測数(Figure2.11)では5月から6月にピークがあり、そのほかの時期の3倍以上の値を示している。この時期は、産卵時期6を迎えたクロダイが生殖のために沿岸に集まるだけでなく、採餌行動が活発となり潟湖や河口等の汽水域にまで進出する時期でもある。これまでの研究や経験則で知られていたクロダイが沿岸に集まる時期が、定量データで確認することができた。縄文時代は気候が温暖であったことから産卵時期が若干はやくなる可能性はあるほか、一年を通してクロダイ漁をしていた可能性は残るが、小竹貝塚の縄文人は現代の釣り人と同じく、春から初夏にかけて沿岸や潟湖に集まってきたクロダイを捕獲していたと考えるのが合理的である。
本研究は小竹貝塚から出土したクロダイの前上顎骨を計測し、体長を復元することで、小竹貝塚における漁撈活動に関する基礎資料とし、生業の一端を明らかにすることを目的とした。
計測できた前上顎骨の数は 515個(左: 265 個、右: 250 個)で、これは全国的に見てもトップクラスの計測数であり、汽水域におけるクロダイの基準資料といえる。
分析により、小竹貝塚のクロダイは未成魚が少なく、体長約30cmの成魚が主体を占めていることがわかった。時期毎の体長の変化を調べた結果、人骨期以前に比べて人骨期はクロダイの平均値が小さくなり、幅広いサイズが捕獲されるようになることがわかった。これは、漁法・漁具による体長の選択を示していると見られ、人骨期以前は釣漁や刺突漁といった体長の選択をしていた一方で、人骨期には網漁など体長の選択をしない又はできない漁法・漁具を採用した結果を反映していると考えられる。
他の貝塚とのPMLの比較からは、小竹貝塚は閉鎖性海域〜汽水域の貝塚と類似したPML分布をしていることがわかり、一方東北太平洋側の貝塚は小竹貝塚を含む閉鎖性海域〜汽水域よりもPML分布が大きい傾向にあることから、遺跡の立地とクロダイの大きさには関係があることが伺えた。小竹貝塚では、沖合に出て漁をするというよりも集落の眼前に広がる潟湖を漁場としていたと考えられた。
漁期については、現代のクロダイの計測数の推移を参考にすると、小竹貝塚においてもクロダイの産卵時期となる4 - 6月にかけて集落の眼前に広がる潟湖に集まってくるクロダイを捕獲していたことが推察された。
本研究は令和4年度富山県美術館・博物館学芸員等研究補助を受けて行った「縄文時代の魚の大きさを知りタイ!~小竹貝塚出土のクロダイ前上顎骨の計測から~」の研究結果を紀要に掲載するために改訂したものである。実施にあたり、富山県博物館協会や富山県埋蔵文化財センターはじめ関係各位には多大なご支援、ご協力をいただいた。特に納屋内高史氏には動物考古学の見地からご指導を賜った。あらためて感謝を申し上げる。
最後に今後の展望について触れておきたい。今回計測しなかったクロダイの歯骨やスズキ・マダイから復元できる体長と分析結果が、今回の研究結果と整合するかの確認が必要である。また漁撈活動の復元には出土した漁具の研究も重要であり、これらを今後の課題としたい。
Rとは統計解析向けのプログラミング言語および開発環境のこと。オープンソース、フリーソフトでデータ分析や可視化等の作業を効率的に行うこと可能。「パッケージ」という関数やデータセットをまとめた拡張機能の開発が盛んで、研究者やデータサイエンティスト等の間で広く使用されている。↩︎
40cmを超えるクロダイは13歳以上と推定されている。小竹貝塚で40cmを超えるのは 0個体であった(大島1942)。↩︎
変動係数(\(CV\):Coefficient of Variation)は、標準偏差(\(SD\))を平均値で割った値で、データの分布のばらつきを表す係数。単位が異なるデータや、平均値が大きく異なるデータの比較ができるなど、標準偏差よりも規模を考慮した係数である。↩︎
インターネットで公開されている画像から算出。検証のため、なるべくスケールの入っている画像を計測した。↩︎
『山口農林水産統計年報(平成22~23年)』(中国四国農政局統計部2012)によると、クロダイの生息に適した島嶼・岩礁が多い瀬戸内海区での、クロダイの主な漁法は、「小型底びき網」(14.4%)、「船びき網」(24.4%)、「その他の刺網」(36.7%)で75.6%を占め、「その他の釣」は11.1%であり、網漁の結果を反映していると考えてよい。↩︎
愛知県では、5月初旬から6月中旬はクロダイの産卵期で、最盛期は5月下旬、7月上旬には雌雄の生殖巣が萎縮する。他の地域でも同じという(大島1942)。↩︎